
福井・八坂神社 木造牛頭天王座像(重文)
2024年に国重文として答申されたばかりの仏像。
牛頭天王(ごずてんのう)はインド・祇園精舎の守護神で、日本では素戔嗚尊(すさのおのみこと)と神仏習合した疫病除けの神として祀られています。
薬師如来を師と仰ぎ、疫病神を追い払い、東北の鬼門を警備する牛頭天王は、仙人・東王父、仙女・西王母の息子として生まれ、天竺で8万4654の眷属神を従えています。
京都の八坂神社、兵庫の広峯神社を総本社とする祇園信仰の象徴的な霊神です。
こちらの牛頭天王座像は内刳(乾燥による干割れを防ぎ、軽量化するために内部を刳り抜いて空洞にする技法)は使われていない榧の一本造りで制作されています。
虎座(虎の上に跨る姿)で表現され、三面十二臂、頭上には牛を戴、明王のような憤怒の表情で手には蓮華、宝弓、宝箭、鉞斧、如意宝珠、羂索、念珠、宝剣、三鈷杵、宝輪、薬壺などを持っています。
この仏像は通常非公開の秘仏ですが、同時に答申された頭部に十一面観音が乗った木造女神坐像と合わせて廃仏毀釈以前の神仏習合時代における貴重な仏像彫刻の作例です。
〈祇園牛頭天王御縁起より〉
7歳にして身長が7尺5寸、3尺の牛の頭を持ち、3尺の赤い角もあった。
太子は王位を継承して牛頭天王を名乗り、后を迎えようとするものの、その姿形の怖ろしさのために近寄ろうとする女人さえいない。
そのため牛頭天王は酒びたりの毎日を送るようになった。
ある日、3人の公卿が牛頭天王の気持ちを慰安しようと山野に狩りに連れ出すが、そのとき一羽の鳩があらわれ、人間のことばを話すことができる山鳩は、大海に住む沙掲羅龍王(八大龍王)の娘のもとへ案内すると言うので牛頭天王は娘を娶りに出かける旅に出た。
旅の途中、大金持ちで強欲な弟、古単将来に宿を求めたが断られた。
それに対し、貧乏な兄の蘇民将来は喜んで宿を貸し、なけなしの食料の中から粟飯をふるまってくれた。
蘇民将来の親切心と情けにいたく感動した牛頭天王は、願いごとがすべてかなう牛玉を蘇民将来に授け、のちに蘇民は富貴の人となりました。
豊饒国への帰路、牛頭天王は八万四千の眷属を差向け、古単将来への復讐を決意。
強欲な古端将来は千人の僧を集め大般若経を七日七晩にわたって読誦させたが、ひとりの法師が居眠りしたために失敗し、古単の眷属五千余はことごとく蹴り殺された。
牛頭天王は古単の妻だけを蘇民将来の娘であるために助命して、「茅の輪をつくって、赤絹の房を下げ、「蘇民将来之子孫なり」との護符を付ければ、末代までも災難を逃れることができる」と除災の法を教示した。
以上が牛王天皇と蘇民将来伝説を記した室町時代以降の物語である「祇園牛頭天王御縁起」の要約です。
余談ですが、龍宮へ赴いた牛頭天王は、沙掲羅の三女・頗梨采女を娶り、七男一女の王子(八王子)をもうけました。
東京にある八王子の名前の由来は平安時代の高僧・妙行が当時、深沢山(現在の城山)で牛頭天王と8人の王子を祭ったことから付けられたことはあまり知られていませんので、何かのタイミングで知り合いに教えてあげれば一目置かれる事があるかもしれません。
伝説では牛頭天王は天災や戦乱による社会の混乱の世に垂迹(仏が仮に神の姿をとってこの世に現れ、厳罰をもって人々を教化し救済をすること)するといわれていますが、それは正に今なのかもしれません。



















